猫好き女の雑記

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FGO2部1章いまさら感想~エンディングがエモすぎる~

(このブログは2部3章までのネタバレを含みます、まだシナリオをクリアしていない方はご注意ください。)

友達の間でFGOなるものが流行っていたので私も始めてみて早1年ほど。
戦闘的にも、やっと初心者を脱して高難易度もできるようになってきました。FGOは戦闘にも頭を使って楽しい!始めてよかった~。


なお、私はいわゆるFateシリーズは全く触れておらず、型月関連の知識がありません。

 

あくまでゲームだけを楽しんでいるライトユーザーの戯言ですが、2部3章までのシナリオ感想について思うところを書いていきたいと思います。

 

FGO1章のラストエモすぎない?

とりあえず思ったのは、1章のエンディングがエモすぎるということ。今回のブログで言いたいことはこれです。

 

主人公が世界の剪定を行ったため、このロストベルトは消えてしまうんですよね。そこに生活していた人々の暮らしはなかったことになってしまう。
2部ではこの、ロストベルトを刈っていって(つまり破壊していって)、ぐだ達がいた「汎人類史」を取り戻す物語なので、どうしてもロストベルトにいる人々はなかったことになってしまうんです。ここが毎回つらい。

ロストベルトで生活している一般の人にとっては、ぐだ達は敵にもなり得るんですよね。だって自分たちの生活を破壊されるんですよ。今まで当たり前だと思っていたことが、汎人類史では当たり前じゃないとかなんとか言われて。

2部の1章ではぐだ達側にもロストベルトを破壊することの意味やためらいを見ることができてよかったと思います。3章では「それはおかしい!」みたいな感じでいかにも汎人類史であったことが正しくてロストベルトであったことはおかしいみたいな感じで進んでいったのがちょっとモヤモヤしました。そこは悩み続けても良かったのではないかと。

 

さて、長すぎる前置きはここまでにして本題に入ります。2部1章のラストシーンについてです。

なんですか、あのサリエリがきらきら星を演奏して世界の終わりを待つというシーンは。あんなんエモすぎてよっぽどの終わり方じゃないとハードル上がりまくりますよ。

モーツァルトを殺したのではないかという容疑から、無辜の怪物へとなってしまったサリエリですが、最後に演奏するのがモーツァルトが変奏曲を作った「きらきら星」なんですよね。(ゲームではモーツァルト作曲のきらきら星変奏曲ではなく、通常のきらきら星が流れていました。)

モーツァルトの遺言とはいえ、自分の敵でもあり心の底から尊敬していたモーツァルトの曲を自分で演奏するのは酷だったことだと思います。

サリエリモーツァルトを殺すものとしてサーヴァント化し、クラスもアヴェンジャーとなっています。


ただ、世界の終わりにロストベルトで暮らす人々に対して演奏した、いわゆる「レクイエム(鎮魂歌)」として選択したのがモーツァルトのきらきら星だったって良すぎませんか。泣ける。しかも自身もロストベルトに残ったのでサリエリ自身も消えちゃうんですよ。そんな中ロストベルトにいる人々に対する鎮魂歌を自身が消えるまで演奏し続けたわけです。
※全く関係ありませんがサリエリの宝具演出中に流れる曲もレクイエムです。

 

そのあとの子ヤガとの会話も泣けます。
「音楽ってなに?」「お腹いっぱいになるの?」
「ああ、お腹いっぱいになるよ」
もちろんお腹が満たされるわけがありませんが、このあと消滅してしまう彼らへのせめてもの気遣いだったのだと思います。

 

サリエリがきらきら星の演奏を続けて世界が消滅していく。こんな完璧なエンディングがありますかね。本当に良かった。

 

語彙力がないので「とにかく1章のエンディング良すぎるな」ということが言いたかっただけです。


2部もまだまだ続きますね!これからのシナリオにも期待です~。